【本】NEXUS

随分前に買ったNEXUSを読了。例の「6 Degrees of Separation」に関する過去の科学的研究の歴史を書いた本である。細かい理屈はともかく、なるほど「個にして全、全にして個」なのかなあ、と。「個別の事象・物質ではなく、それらが周囲と関わることで全体としてどう影響するか?」という様な話し。インターネット的に考えるとわかりやすい(かも)で、個別の端末だけ見ても何もわからず、ネットワークという全体像として捉えて初めて話しが始まるということ。ヒトも案外、そうなのかもしれない、と今日とある相棒と話してて思った。自分という個別の人格について悩んだり否定する、ということよりも、自分が他のヒトと関わることで全体としてどう影響するか?みたいな考え方。納豆は個別に見ると腐った豆だが、ヒトが食べると健康に良い、という風に、自分は腐ってる人間だとしても、自分の周囲のヒトの輪(あるいは自分と関わっている個人)からしてみると、健康(というかポジティブな刺激)をもらえているのかもしれない。それを、「ヒトに良いことをして役に立ってもオイラは腐ってるし」と思うのは、個の考え方、逆に「腐ってるけどヒトとの関わりの中では良いことをしてるし」と考えるか、みたいな感じでしょうか。自分の中の(本当の)自分と他人の中の自分、とか言い出すとエヴァっ気が出てきて話しが飛びますが、魂論とかおいといて昔どっかで書いたようにヒト個人をノード、ヒトのつながりをネットワークと考えたときに、わりとストンとぼく的にはフィット感があるのです。ヒトはノードとして、本来は善悪抜きにしてネットワーク上に存在しINPUT>処理>OUTPUTを繰り返しているものであるわけで、その上で個人の「意思」(つまりチョイス、この辺は過去の更新に散り散りに書いてます)として、OUTPUTを他のノードにとって「ポジティブ」(つまり「善」としたい)、という風にぼくなんかは考える。つまりぼく個人として世に提供する付加価値、ということか。ただこの善ってのが難しくて、善悪は絶対的では無く相対的であることから、何が良くて何が悪いか、はもはや判断することは出来ない(一般的に善悪の判断はあくまでもマジョリティの意見への準拠、若しくは「勝てば官軍」であるわけで)。
ということで、結論としては1ノードとしてがんばってINPUTに対し自分の中の処理によって価値を付加したOUTPUTをし、それが最終的に何らかのベンチマークによって「善」とされる(もしくは自分でそう判断する)ことを粛々とやっていくしかない。のかなあ。

ということで書評ではなくあくまでぼくの哲学の反芻になりましたが、そもそもぼくの哲学の反芻の為に読んだ本なので、そういうもんでしょ。

明日からは、

Blink: The Power of Thinking Without Thinking

Blink: The Power of Thinking Without Thinking

です。「Tipping Point」の作者で表紙の書評が良さそうなんで買いましたが、なーんか自己啓発モノっぽくて、若干不安であります。まあいいか。

おわり