【Misc】パンツを履いたサル

今日は月島@もんじゃに続き、怪しい面子とふかーい議論をしました。が、濃すぎて書けないので、帰り際にふと思ったことを書きます。

人類を含めた動物は、その全ての種が食物連鎖のどこかに位置している。そして、その連鎖の中で、少しでも上位(つまり生存)することを無意識に目指す。つまり種の保存の法則?であり、その顕在化が進化である。

しかし、他の種は(知りうる限りでは)これを無意識にやっている中で、ヒトだけは唯一、これを自覚(つまり客観視)して行っている種である。これが、ヒトとその他の種を区分する、まさに履いているパンツなのである。

行ってはいるし、現にヒトは、その大多数が日々、「上位の種に食べられてしまう」という心配からは解放され、食物連鎖を脱したと言えるかもしれない。(だって、普段、モテないとか、化粧が決まらないとか、会社の上司に見捨てられるとか、次回も合コン呼んでもらえるだろうかとか、身体は明らかに寒いと信号を出してるのにコートなんてまだ着てて季節はずれじゃなかろうか等々は心配しても、いつ何時何かに食べられはしないだろうか、なんて心配はみなさんしないでしょ?)

しかしその一方、食物連鎖を脱しても、その脱する原動力となった知性が生んだ様々なしがらみで自らを縛り、またその知性で生んだ様々な方策により、地球の生態系を破壊しつづけて自らの乗る船を沈ませようとしているのもヒトであるわけだ。

自爆によって食物連鎖を脱するという行為は、ある意味デカタンスを孕んだPoetic Justiceとも受け取れるが、おそらく皮肉とも呼べない、筆舌に尽くしがたいただのバカに違いない。

だからと言って、ヒトとして構築したすべてを捨てるかと問われれば、きっと捨てないだろう。我々はみな支配者であり、奴隷なのである。

最近の反動で、今は劣化しない情報の粒を書いてる様に思えて、明日読み直したら恥ずかしくて顔面から火を噴くほどの劣悪な文章を書いたところで、おわり。

PS:養老猛氏によると、客観視も我々一人一人の脳内で行われているマスターべーションとも解釈出来る。これもまたメタなポエチック・ジャスティスに見えるが、正味な話し、やってられまへんわ、である。