文章を書くということ

親友の同期と、10年前にリレー小説ってのを始めました。もはや、執筆してるより中断してる方が圧倒的に長く、文章にして6ページぐらいしかないんですが、一応まだ続いています。今日、ふと思って久々に更新してみたんですが、文章というのが、自分の表現方法の一つだとすると、それは相当に日常のインプット・アウトプットおよび内部処理によって、少しずつ変わってしまうものだ、ということを痛感しました。

ここ10年間、文章を書く(それもほとんどキーボードで書いてるのですが)という行為は、すなわち「仕事」として書いているものがほとんどでした。仕事として各文章の多くは、報告だったり、提案書だったり、仕事のコレポンだったりするんですが、圧倒的に事実を伝えるということに徹しているわけです。こんなことしてると、どうも情緒というものを伝えることが、相当に下手になってることに、気づきました。

筆が錆びるというか、window of imaginationが曇るというか、どうも想像したり、心で感じるものを表現する、主観モードとでもいうものが、素直にコトバになってくれません。うーむ、これはすごいことだなあ。

これもまた、自分改造計画の要改造項目に、加えるべきことかもしれません。うーむ、考え始めると、改造したいことって、たくさんあるなあ。

おわり。

PS:最近、がんこ中毒に加えて、なんか火鍋中毒、ラム中毒になってるっぽいです。あと、最近買ったもの、いろいろ。

現在、burning chromeは風呂本として、minority reportはなんとなく本として読んでます。問題作のcatch22は、どうやらお蔵入りになりそうな予感。。。。

Burning Chrome
Papillon
Minority Report (Gollancz SF S.)
LIVING ON THE EDGE
パルーカヴィル
エレクトロロジィ
METAL WORKS 73-93