【映画】パッション

パッション [DVD]

パッション [DVD]

なにかと物議を醸していたこの映画、日曜夜にスカパー!でキャッチ。じーっくり腰を据えて観てみた。
宗教というものについて、論じられるほどの人間ではないが、メル・ギブソンがこの映画のタイトルにパッション、つまり情熱という言葉を使った意味はわかった気がする。行き過ぎるぐらいの暴力描写が問題になっていたようだが、この映画はそれが無ければ成り立たない映画だと思った。それが伝えたかったメッセージなのだと思った。ボコボコにされ街中を引きずり回され鞭で肉を削られ手足に杭を打たれ(因みに映画では十字架に釘付けされる場面で拷問野郎に無理矢理腕を引っ張られイエスが脱臼するシーンで脱臼に悩まされたぼくは一番くらくら、というかうひいいいいいいぐらいキタ)衆人の悪意を一身に受けながらも、最後までその衆人の許しを神に訴える姿、それこそがイエスのパッション、つまり情熱だったのだ、と言いたかった気がする。
ぼくは表層的(つまりきちんと議論する気がない場合は)無神論者だと公言してるが、無神論者なのではなくて、神なるHigher Presenceの存在自体は否定していない。Seeing is Believingという英語の慣用句があるが、それではあまりにも世界がつまらないところだし、むしろBelieving is Seeingであり、信じれば見えるし、見えなくても信じればそれは信念でありヒトの信念を否定することは相手になりきれない以上はただのプライドでしかないからだ。
と話しが逸れそうなので(きっと誤解するヒトが多いだろうけど気にせず)戻すと、映画で描写されるイエスの姿、それをメシアたるものの定めと受け止めるか、ただの狂信的なひとりよがりと受け止めるか、ただの血だらけのGoreと受け止めるか、異教の戯言ととるか、それはヒトそれぞれであるが、この映画で描かれているイエスの情熱、これだけは否定することは出来ない、ということをぼくは感じた。
ぼくは昔から仏教はよくわからないが仏陀は尊敬してやまない(座右の書、「ブッダ入門」by故中村元さん)とも公言してるが、この映画を見てキリスト教は相変わらずよくわからないが、イエス・キリストに対して尊敬してやまない気持ちを持つようになった。こういう言い方をすると様々なおしかりを受けそうだが、ぼくにはこういう風に表現することしか出来ないし、この映画を観たぼく、いやこの映画を作ったメル・ギブソンというヒトは、そういう気持ちを人々に持って欲しくて、この映画を作ったと思う。よって、難しい話し(最初に言ったように、ぼくは宗教というものを論じられるほどの人間ではないので)は一旦置いておいて、素直にこの映画が伝えるメッセージとして受け止めることにした。映画のタイトル通り、ぼくはイエス・キリストのPassion、情熱にうたれたのだった。もはやこの世では会うことも出来ないだろうが、1秒で良いから、お互いに目を見合わせ、その情熱を直接感じてみたかった、と思わせてくれたメル(因みにぼくは昔から強烈なメルふぁんだったりする)に感謝。

おわり