【情報の顕在化とその影響】

先日から、会社では首からIDをぶら下げるルーツとなった。個人情報保護の観点からなんだが、一方で自分の名前の書いてあるものを常時人目にさらすっていうのも、個人情報保護の観点からどうかと思う。
とそれは良いとして、このぶら下げるのにネックストラップを使うわけだが、このネックストラップ、会社にいるヒトの属性別に色分けされとるんです(こんなこと書いちゃっていいかわからんが。まあいいか)。このネックストラップが、実に面白い現象を発生させている。
会社の1Fには喫煙室という名のガス室があるのだが、ここは多くの喫煙者で常時混雑している。ここではみんな最近迫害されている喫煙者として、アンビエントな仲間意識を漂わせていたのだが、これがネックストラップによって、微妙な変化を遂げたのだ。
みんな喫煙者、という共通項に、ネックストラップの色での属性差、という情報が顕在化された為に、妙に居心地の悪い空間になってしまったのだ。会社には、正社員のほかに、システム系等の常駐の方々が多くいらっしゃるのだが、これまで分け隔て無く使っていた灰皿設備を使う際、微妙な遠慮関係が感知される様になった。また、ガス室内での会話に関しても、これまでは結構奔放な会話がされていたのが、社内外の目(耳)を意識してか、心なしかひそひそとした内容の抑制されたものになっている、気がする。
この変化自体、善悪の判断は敢えてしないが、属性情報というものが、これまで潜在的だったのが顕在化したことで、この変化がもたらされていると言って間違いない。これは大変興味深いことだ。
そこで思ったのは、もしヒトが最初から盲目で、肌の色や容姿という視覚的な情報を失い、音声とコンテキストという情報のみでヒトと関わっていたならば、人種差別は存在するのだろうか、ということであった。(つっこみどころ満載だと思いますがご容赦下さい。