【Misc】世界平和は「好きじゃない」から始まる

最近ブログのアクセス解析が、くそサイトからのもので埋め尽くされてて凹みます。最近花粉が飛びまくってるのか、花粉症じゃないぼくも目がしょぼしょぼ、口の中がもちょもちょして、凹みます。いろいろなものが飛びまくると、いやですねえ。

昔から、ヒトはお互いの相違をもっと許容できるようになれば、世の中平和になるんだろうなあと想っていますが、その努力は案外小さな心がけから始まるのではないかと。

例えば、飲食物に対して、まずい、という表現を使わないようにするとか。まずい、ではなく、好きなじゃい、と言うようにしてみるってどうでしょうか。

詳しいことは知りませんが、ヒトはたぶん味覚の多感・鈍感ってのはあるんじゃないかと思うのです。これは、要するに車のFF,FR、4WD(前輪駆動、後輪駆動、四輪駆動)があり、これはハードウエアの問題なので、どうにもならないのと一緒で、味覚の多感・鈍感というのは味覚を感じる為のハードウエア(舌、鼻そして主に脳)がどうなのよ、という話しで、ある意味どうしようもないのかなと。

一方で、何を美味しいと思うか、逆にまずいと思うかというのは、ヒトの好み(価値観)の問題であり、これはある意味ハードウエアに依存しないレベルの話しなんじゃないでしょうか。

(話しの腰を折るようですが、視力の善し悪しってのはハードウエアの問題ですが、何《誰》を美しいと思うか、というのは価値観の問題と言えばわかりやすいですかね)

飲食物に絶対的な美味さ、まずさというのは無いと思われる一方、よくヒトと「あれはうまいって」、「いやまずいだろー」という会話をぼくもしたことありますし、皆さんも心当たりあるんじゃないでしょうか。

美味いかまずいか、というのはヒトの好みであるとすると、特定の飲食物に対して、絶対的な正解は無いはずで、そこをがんばって議論してもどっちが正しいということはありませんわな。そんな調子で続けてると、やっぱケンカになります。全然平和じゃないっすね。

だから、そういう時は、「あれは好きだなあ」、「うーんおれは好きじゃないけどね」と言ってみると、「まあお互いの好みだからねえ」ということで、多少は丸く治まるんじゃないでしょうか。自分の好みや価値観をヒトに強要するヒトは全く論外ですが。

世の中そんなに簡単じゃないと思いますが、でもこういうちょっとしたことから、世の中良くなっていくかもしれない。そんな可能性に期待してみるのは、如何でしょうかね。

まあここに、味覚の優劣争いを持ち込むと、またややこしくなるわけですが、そこはひとまず無視するということで。

みなさんも、今度「あれはまず・・・」と言いかけたら、がんばって「あれは好きじゃないなあ」と、言い換えてみて下さい。世界平和への一歩になるかもしれませんよ。


おわり
PS因みにイギリスのメシはまず・・・いや好きじゃないですねあまり。なんつうか、味無い?まあ、食は胃に入れるもので、味わうという文化があまり無い感じの国だから、しょうがないかな。因みに豆知識として、舌の単位面積あたりの味覚細胞がもっとも多い(つまり舌が肥えている)のは、フランス人と日本人だと聞いたことがあります。日本人心理的にはとってもうれしい話しですね。真っ赤な嘘だという可能性もありますが。あ、これ優劣争い的発言ですね。