何人にも侵されざる、聖なる領域、心の光。ATフィールドは、誰もがも

渚カヲル曰く「何人にも侵されざる、聖なる領域、心の光。リリンもわかっているんだろう。ATフィールドは、誰もがもっている心の壁だということを」だそうです。

要は「気を許す」、「気を許さない」ってことですよね、これって。許すか許さないかの境界線上にあるのが、ATフィールドってことだと思う。

エヴァの世界では、ATフィールドを展開したり、中和したり浸食したり波長合わせたりして色々なことが起こります。物語内部の一つのファクター(例:フォースやミノフスキー粒子)と考えればそれまでなんだけど、実生活において、当てはめてみると、以外と見えたりすることがあると思うんです。

初対面のヒトに対して、ちょっと気を許さない状態って、ATフィールド全開でバリアー張るってことなんだろうし、

ATフィールド全開のヒトと仲良くなろうとして、自分から歩み寄るのって、相手のATフィールドと波長を合わせていくことなんだろうし、

お互いに距離が縮まり、気を許せるようになるのって、お互いにATフィールドを中和しあってる(あるいはシンクロしている)ってことなんだろうね。

※細かいコトバの使い方はご容赦。だいたいわかるよね。

これって、初対面のヒトにしか起こらないことじゃないよね。仲良いヒトの間でも、微妙な関係(ATフィールドの変化?)ってあるもんですよね。

気を許している仲間と、しばらくあってなかったり、お互い若干違う経験値を重ねると、それまで「ココだ!」って定まっていた、ATフィールドの中和地点がずれて、微修正しなきゃいけなかったり、たまたまちょい気まずいことがあって、相手のATフィールドがちょっと強くなったり(つまり一言あやまっておくべきことがあったり)とか。あるいは当然逆もあり、ちょっと意地はったりしちゃって「あ、おれいまATフィールド展開したわ」と思う瞬間って、よくあるんじゃないでしょうか。

長い話しを要約するとね、別に新しい概念を持ち込んでいるのでは無いんです。ただ、ATフィールドっていう具象化を行うことで、人間関係におけるココロの微細なやりとり、みたいなのを、より明確にイメージ出来ることってあるんじゃないかな、と考える次第です。

より明確にイメージ出来るってことは、現状を正確に把握出来るってことなので、よって的確な対処方法がわかるってことにも繋がるわけです。的確な対処をすることで、お互いの関係をよりお互いにとって良いものに出来る、ってことで、人類幸せになれないもんかね。

「んなこと、ATフィールド持ち出さなくてもわかっとるわい」という声が既に聞こえますが、まーまー、一回置き換えてやってみてよ。結構改めて実感出来るときがあるから。

前にコネクティビティのことを書きましたが、ヒトって他人との関係性の中で自分を定義するってことって、あると思うんだよね(これもエヴァ風味だな)。勿論、核たる自分というものが無くては意味が無く、ただの交換機になってしまう。様々なヒトと繋がっていて、ヒトからのINPUTを核たる自分というもので処理を行い、何らか付加されたOUTPUTをまたヒトに送る。これっていうのが、本当のヒトとヒトとのコネクティビティの意味なんだと思うな。おっと、今度は攻殻機動隊風になってきた。ということでまたつづきは今度ね。

PS:え?ぼくですか。自分(というノード)を、常に研きつつ、コネクトしているヒト達(ノード)に刺激を与えられるようしつつ、更に自分に新しい刺激をくれるヒト達(ノード)とのコネクティビティを探求しているってわけ。これがぼくの、大袈裟にいうと存在理由であり最大の楽しみでもある。ついでに言っておくと、そんなこと言っておいて極度の人見知りなもんだから、相当有効ですよ、ATフィールド的ヒトとの付き合い方。